私と息子、一歩前へ。
予定より早く、息子1歳2ヶ月の終わりの時期に断乳をした。
当初はこの冬まではなんとか授乳を続け、ちょうど1歳半が3月末なのでその頃をめどに断乳のプランを立てようかと思っていたのだか。
てなことを母親センパイの友人に伝えた所、絵日記にしていてくれていた。
正確に私の気持ちを書くと、息子にとって何が最善な選択か考え抜いて決めた答えだったので、たとえ世間から非難されたとしても後ろめたさは全くなく。堂々と私はこうだと言える。
たまたまだが母乳推進の産院で産み、長く母乳をあげることが良しとされる話を聞きながら育児プランを手探りで作っていたので、当然自分の出来る限り長くあげることで免疫で体を守ったり心が不安定な時に癒やしたりしてあげたいと思っていた。
だが実際の息子は、寝るとき以外欲しがらない子。人懐こくて情緒も安定している方で、食も太く、体も比較的タフな方なのだ。今のところまで。
5ヶ月前には歯が生え始め、1歳前から歩き始め、日々好奇心旺盛になる息子。吸いながらの睡眠により眠りが浅くなっているせいで何度も起きるのは辛いのではなかろうか。睡眠不足でいつもだるがってるお母さんと一緒では昼間の活動が充分にできないのではないだろうか。
私自身が日々充分に休めず辛かったのは当然なのだけど、息子がどうかを考えて考えて(時に夫婦の意見対立もして)いろんな葛藤があったのだが、ある時すーっと「この子は母乳なしでも大丈夫な子だ」と確信が持てた日がきた。
免疫の点は多々論があるのでさておき、栄養は食欲旺盛な息子には心配ないこと。そして母乳でなくとも愛情や癒やしを与えることができるという母親としての自信が、自分の中にできていた。
うむ、私のような肝の座ってない女がそんな偉そうに。でも何かそれだけは確かに感じたのだ。
その夜からいわゆる言い聞かせというのを開始。ゴールは23日程後。
まだ言葉のしゃべれぬ子に意味などわかるのかという疑念は多少持ちつつではあったのだが...。なんとなく、わかりはじめてきたかなとは思うけれど、「もうすぐおっぱいとバイバイだよ」ってなんか複雑な話じゃないかな。もうすぐバイバイだけど、今日は飲めるし。
そしてその1週間後くらいに昼だけ断乳開始。
もともと乳なしでは昼夜寝られない状態のところからいきなりすべて断つということに不安を感じていた頃、旦那サンが昼ふと「今日はお父さんが寝かし付けするぞぉー♪」と宣言し、そこから昼断乳スタート...。
まぁ彼は私が迷っていたのを察して後押ししてくれたのだが、その勢いに任せた結果、昼は頭なでなで&子守唄でスヤスヤ寝てくれるようになったのだ。
おお、なんだ!こんなスムーズならもっと早くやっておけばよかった。
それとも夜の言い聞かせの効果?息子なりに何か悟ってきているのかもしれない。
真相はわからぬまま、あれよあれよとその日の前夜。生まれてからずっと私とパイと共に眠ってきた息子に、とうとう「今日でおっぱいとバイバイだよ」「これが最後だよ」を伝える。
「フガフガー(そんなの知るかー、眠いんじゃー、はよよこせー)」とやる息子に、最後に伝えた言葉は「忘れないでね」。
....忘れてもらわないと断乳成功しないのだが。
こんなに二人でぴったりと寄り添い、毎日欠かすことなく命を支えるもととなる養分を与えていた日々。
この489日の間のことは、私にとっては(細かいディティールは忘却したとしても)忘れえぬことだが、息子にとってはこれからもっとたくさんの事をぐんぐん吸収していく前のほんの助走の時期であって、私がそうだったように皆忘れてしまうのだ。
思わず「忘れないで」と口に出た。
そして、ヤァヤァヤァいよいよやって来た、今日からパイなしで寝ますよという日。私は寝室から襖一枚隔てた別室に居た。
旦那サンが協力してくれて、その数日は寝かし付け担当となってくれたのだ。私は泣こうが喚こうが空気の存在。
さぁ波乱の幕開け、何が起こるのか...と思いきや。
最初の寝かし付けはそのまま騒ぎもせずに寝てしまい、その2時間程後に40-50分わんわん騒いだのをピークにその後は子守唄+頭なでなででスヤスヤ眠るようになってしまった...よ。
なんだったんだ、今まで悩んだ時間は。というくらいに、おかげ様でスムーズに断乳という大業が片付いてしまった。
もしかしたら日中夜のさみしさを思い出して荒れるかもしれないとも危惧していたが、まったく穏やかにいつもどおり。
むしろ私が息子との接点が極端に減ったことで少し荒れたかもしれないが、断乳後3日程して私の寝かし付け&お風呂も徐々に復活し、これまた何も問題なく。
朝まで寝るか、寝相などの問題で1〜2度起きるけどすぐまた寝入る。これで子も母も、夜中ゆっくりと休む事ができるようになった。
授乳のことを抜きに子育てを、仕事を、生活を、考えることができるようになった。
出産から今までとまたひと段階進んだ、違う章が始まった、気がする。
先に書いた"「この子は母乳なしでも大丈夫な子だ」と確信が持てた日"に浮かんだ映像は。
キラキラと光る一本道があり、その先に扉が一枚。
そこに向かって息子がてとてと歩き、扉の先に進もうとしている姿。
その姿を見て「ああ、息子は一人立ちの第一歩を歩み始めたんだ」と思うわたしは涙。離れてしまう淋しさとここまで成長したんだという嬉しさとの、両方を合わせたー。
挿絵は金柑の実。
私の住む家の庭には金柑の木があり、毎年たくさんの実を付けてくれる。
この家を見つけた時にも鈴なりの金柑の実がなっていて、中はまだ見られなかったものの「ここだ!」という直感を得た。
ちょうどこの家に越して2年。この家に越してから赤ちゃんも訪れてくれることとなり、新しい生活が始まったのだ。
金柑の実は繁栄の象徴ー、不思議なご縁。
当初はこの冬まではなんとか授乳を続け、ちょうど1歳半が3月末なのでその頃をめどに断乳のプランを立てようかと思っていたのだか。
てなことを母親センパイの友人に伝えた所、絵日記にしていてくれていた。
1歳2ヶ月の子を持つ友が断乳することにした、と言う。「夜中何度も起きてお互い辛くて…。せめて一歳半まではおっぱいしたかったけど…。」って。それは当然受けるであろう世間からの批判への弁解に聞こえ、まあなんて健気なんだろう!と思った。→
— オダギリミホ (@myonSSD) 2015, 12月 9
→赤ちゃんのお世話だけで一日中大変なのに、夜中眠れないのを解消したいって小さな願いすら罪悪感を持ってしまう。断乳時の空気感忘れてたけどそうだった!そこのお母さん!大丈夫!今は可能な限りの楽な方法を選んでいいと思うよ!(4歳5ヶ月) pic.twitter.com/KYxTnWpKGZ
— オダギリミホ (@myonSSD) 2015, 12月 9
正確に私の気持ちを書くと、息子にとって何が最善な選択か考え抜いて決めた答えだったので、たとえ世間から非難されたとしても後ろめたさは全くなく。堂々と私はこうだと言える。
たまたまだが母乳推進の産院で産み、長く母乳をあげることが良しとされる話を聞きながら育児プランを手探りで作っていたので、当然自分の出来る限り長くあげることで免疫で体を守ったり心が不安定な時に癒やしたりしてあげたいと思っていた。
だが実際の息子は、寝るとき以外欲しがらない子。人懐こくて情緒も安定している方で、食も太く、体も比較的タフな方なのだ。今のところまで。
5ヶ月前には歯が生え始め、1歳前から歩き始め、日々好奇心旺盛になる息子。吸いながらの睡眠により眠りが浅くなっているせいで何度も起きるのは辛いのではなかろうか。睡眠不足でいつもだるがってるお母さんと一緒では昼間の活動が充分にできないのではないだろうか。
私自身が日々充分に休めず辛かったのは当然なのだけど、息子がどうかを考えて考えて(時に夫婦の意見対立もして)いろんな葛藤があったのだが、ある時すーっと「この子は母乳なしでも大丈夫な子だ」と確信が持てた日がきた。
免疫の点は多々論があるのでさておき、栄養は食欲旺盛な息子には心配ないこと。そして母乳でなくとも愛情や癒やしを与えることができるという母親としての自信が、自分の中にできていた。
うむ、私のような肝の座ってない女がそんな偉そうに。でも何かそれだけは確かに感じたのだ。
その夜からいわゆる言い聞かせというのを開始。ゴールは23日程後。
まだ言葉のしゃべれぬ子に意味などわかるのかという疑念は多少持ちつつではあったのだが...。なんとなく、わかりはじめてきたかなとは思うけれど、「もうすぐおっぱいとバイバイだよ」ってなんか複雑な話じゃないかな。もうすぐバイバイだけど、今日は飲めるし。
そしてその1週間後くらいに昼だけ断乳開始。
もともと乳なしでは昼夜寝られない状態のところからいきなりすべて断つということに不安を感じていた頃、旦那サンが昼ふと「今日はお父さんが寝かし付けするぞぉー♪」と宣言し、そこから昼断乳スタート...。
まぁ彼は私が迷っていたのを察して後押ししてくれたのだが、その勢いに任せた結果、昼は頭なでなで&子守唄でスヤスヤ寝てくれるようになったのだ。
おお、なんだ!こんなスムーズならもっと早くやっておけばよかった。
それとも夜の言い聞かせの効果?息子なりに何か悟ってきているのかもしれない。
真相はわからぬまま、あれよあれよとその日の前夜。生まれてからずっと私とパイと共に眠ってきた息子に、とうとう「今日でおっぱいとバイバイだよ」「これが最後だよ」を伝える。
「フガフガー(そんなの知るかー、眠いんじゃー、はよよこせー)」とやる息子に、最後に伝えた言葉は「忘れないでね」。
....忘れてもらわないと断乳成功しないのだが。
こんなに二人でぴったりと寄り添い、毎日欠かすことなく命を支えるもととなる養分を与えていた日々。
この489日の間のことは、私にとっては(細かいディティールは忘却したとしても)忘れえぬことだが、息子にとってはこれからもっとたくさんの事をぐんぐん吸収していく前のほんの助走の時期であって、私がそうだったように皆忘れてしまうのだ。
思わず「忘れないで」と口に出た。
そして、ヤァヤァヤァいよいよやって来た、今日からパイなしで寝ますよという日。私は寝室から襖一枚隔てた別室に居た。
旦那サンが協力してくれて、その数日は寝かし付け担当となってくれたのだ。私は泣こうが喚こうが空気の存在。
さぁ波乱の幕開け、何が起こるのか...と思いきや。
最初の寝かし付けはそのまま騒ぎもせずに寝てしまい、その2時間程後に40-50分わんわん騒いだのをピークにその後は子守唄+頭なでなででスヤスヤ眠るようになってしまった...よ。
なんだったんだ、今まで悩んだ時間は。というくらいに、おかげ様でスムーズに断乳という大業が片付いてしまった。
もしかしたら日中夜のさみしさを思い出して荒れるかもしれないとも危惧していたが、まったく穏やかにいつもどおり。
むしろ私が息子との接点が極端に減ったことで少し荒れたかもしれないが、断乳後3日程して私の寝かし付け&お風呂も徐々に復活し、これまた何も問題なく。
朝まで寝るか、寝相などの問題で1〜2度起きるけどすぐまた寝入る。これで子も母も、夜中ゆっくりと休む事ができるようになった。
授乳のことを抜きに子育てを、仕事を、生活を、考えることができるようになった。
出産から今までとまたひと段階進んだ、違う章が始まった、気がする。
先に書いた"「この子は母乳なしでも大丈夫な子だ」と確信が持てた日"に浮かんだ映像は。
キラキラと光る一本道があり、その先に扉が一枚。
そこに向かって息子がてとてと歩き、扉の先に進もうとしている姿。
その姿を見て「ああ、息子は一人立ちの第一歩を歩み始めたんだ」と思うわたしは涙。離れてしまう淋しさとここまで成長したんだという嬉しさとの、両方を合わせたー。
挿絵は金柑の実。
私の住む家の庭には金柑の木があり、毎年たくさんの実を付けてくれる。
この家を見つけた時にも鈴なりの金柑の実がなっていて、中はまだ見られなかったものの「ここだ!」という直感を得た。
ちょうどこの家に越して2年。この家に越してから赤ちゃんも訪れてくれることとなり、新しい生活が始まったのだ。
金柑の実は繁栄の象徴ー、不思議なご縁。
- 2016.01.14 Thursday
- 日々つれづれに子育て
- by yuus327