息子の日本→アメリカ移住の記録
こちらに来てから1ヶ月まだ経たないうちに、息子のこの数ヶ月の事を少し振り返ってみる。
彼は今までをどのように感じてるだろうかと時々思う。
ある時から家にどんどん増えるダンボール箱の山。
ある時から急に父親がiPadの画面で喋る人になり。
ある時からなぜかどんどん消える家財道具。
そしてある日突然自分が生まれた時から住んでいた「ちゃいろいおうち」の風景を目にすることがなくなった。
クリスマスも当然父親は不在、おばあちゃん(私の義母)の家で。
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週2〜3日通っていた保育園、生後2ヶ月から度々息子を預かってくれた方、週1〜2回参加していた鎌倉のお山登りの親子会。
息子にはお別れするという意味がまだわからず最後まで天真爛漫でいたけれど、その本人を差し置いて大人達は涙。(特に私)
鎌倉で生まれて自然いっぱいの中で伸び伸び育ち、これから同じように育った子たち同志でのお話や遊びが楽しくなってくるのだろうという頃の別れ。私には新生活への喜びの前に悔いがあった。
大好きな江ノ電ともしばしお別れだしね。
元々は私ひとりで住み始めた鎌倉だったのに。結婚して子供も生まれ、そこへの想いも思い出も自分ひとりだけだったころよりずっと大きくなっていた。
私自身の友人とは離れてもそれが別れではないと思える。
今の時代はどんなに距離が離れていても、ネットがあればSNSやメッセージ・メール等でつながりができる。
ネットがなくても手紙や電話がある。
そうしなくとも心の中で思い出は残る。
けれど、息子はそうはできない。
刻々と成長している息子の今は、刹那だからせつない。
自分がそうだったように、息子の記憶からは幼い頃に会った人の事はほとんど消えてしまうだろう。
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そんな中、もうひとつ危惧していたのが飛行機問題、母子二人での9時間の飛行機移動。
0歳のうちから何度か国内線の飛行機には乗ったことがあるが、それは今まですべて私の膝の上。
息子は2歳なので初の国際線は独立した席になる。
2歳をすぎた頃から感受性が豊かになったのか、今までは割となんでも平気だったのに、例えば海の浜辺とか花火とか暗い中での大音量や映像の刺激などで大号泣するように…。
もし機内で取り乱しても、夫のサポートなくてもなだめることができるだろうか。
またいつもと違う環境で無事寝かし付けできるだろうか。
そのことで頭がいっぱいで、渡米後の生活のイメージをする余裕などまったくなかった。
結果を先にいうと、心配したのがなんだったのかという位問題なかった。
ラウンジでパンをもりもり食べ、離陸の際は夫が用意した江ノ電や新幹線の映像に夢中で轟音には意識は行かず、空の上ではアニメやシールブックやおもちゃなどを絶えず出し、ごはんを食べ終わっていつもより遅い時間ではあるが私の席で眠りにつき、その後息子の席のチャイルドシートに装着して無事ミッション終了。
あとは着陸直前まで爆睡で、朝食を食べることができなかった程だった。
この大成功、息子を気遣って映像や本やおもちゃを用意してくれた、私のサポーター達のおかげでもある。
そしてどんなに周りが心配しても、最終的には子供の持ってる力でなんとかなるのだなぁという学びも得た。
次同じような機会があったら、もっと肝座らせていたいものだ。
息子が寝たら私だけの時間、空の旅を存分に楽しもう。
なんて思っていたのだけど、ミッション成功の燃え尽き状態で映画を見る気力も起こらず。
ずっと気を張っていた状態だったので妙に興奮だけ収まらず、せっかくの人生一度かもしれないフルフラットシートでも満足に寝られなかったのが心残り…。
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そんなこんなで無事SFC空港に到着。
約1ヶ月ぶりにiPadの画面じゃない父親と会った時、息子はどんな反応をするのかと興味深かったけれど…。
息子に会った夫の言葉にできない愛おしさの感情があふれた顔の方が、なんともなんともとても愉快だった。
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こちらでの生活が始まり、「にほん」から「あめーか」に移ったことはよくわかってないだろうが、出会う人の肌の色や言葉、目にする風景、今までと違ういろいろなことに何を感じているだろうか。
恥ずかしがって隠れたり、自分なりのコミュニケーションを試みたり、彼なりの奮闘を見ていると胸が熱くなる…時に自分を見ているような。
そんな中、当初はしばらくして生活が慣れた春頃やろうと思っていたトイレトレーニングを急遽開始したところ、1週間でおむつ卒業してしまったΣ(゚Д゚)
たまたま心身共にいいタイミングだったのだろうが、これからこちらでの生活を本格的にスタートするのにちょうどいい滑り出し。
いろいろな経験が息子を成長させたのかもしれない。
新しい生活は、これからが本番。
息子のPreschoolを決めたり、私自身も言葉や車の運転等、こちらでの基盤を固めるために勉強することがたくさんある。
今は情勢としてはいろいろとあるけれど、日々の暮らしを噛みしめて謳歌すること。
これが今何よりも私達には大事。