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イラストレーター 中津川ゆうこの日々の暮らしとお知らせ。

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アメリカに引越しました。

突然のお知らせになりますが、この度アメリカに引越しました。

 

引越し先はカリフォルニア州のサンフランシスコにほど近い、サンマテオという街。

SFO空港も車で15分ほどの場所、毎日普通に歩く目線でいろんな色の飛行機が着陸するのが大きく目に入ります。

 

今の時期、こちらはちょうど雨季で天気は微妙な事が多いのですが、それでも時折見せる晴れ間で澄んだ青空を堪能しています。

 

まだ引っ越して一週間ほど、まだ新生活に慣れるためのリハビリ状態...。

2歳になった子供の子育ても新しい環境で模索してかなくてはなりません。

これから大変なこともたくさんあるとは思いますが、運命の神様にいただいたせっかくの機会を思い切り楽しんでいくつもりです。

 

——

 

今回の移住については通常の引越しより目まぐるしくいろいろな事が進み、多くの方に不義理をしてしまいました。

特にちょうど昨年11月のヤマウシ小屋での作品展の期間はちょうどこの移住の件で慌ただしくなってしまった頃で、会場にもあまり行けず、作品展PRも不十分になってしまったのが心残りです。

 

そして毎年ヤマウシ小屋で私の後に作品展を開くニット作家の山田朱芳(しゅほう)さんが、私のことについてこんなブログを書いてくださっていました。

(教えてくれたヤマウシあっちゃんありがとう!)

 

Shuho's days | 雪降るおうちのミトン

http://shuho.jugem.jp/?day=20170107

 

昨年朱芳さんのところにお嫁入りした作品が、自身の作品展でこんなに素敵な形に引き継がれていたなんて。

そこに書かれたさりげなくあたたかいメッセージと一緒に、胸にこみあげました。

 

一枚の小さな作品だけど、私の意思を離れた後もちゃんと新たな環境で根を張って、新しいインスピレーションを生み出している。

それは制作の醍醐味でもあり、私の喜びの糧でもあり。

 

もちろん、これから少し新生活に慣れてから、作品制作も始めていくつもりです。

 

これからもどうぞよろしくお願いします。

 

P.S.

新生活での小さな日々のつぶやきや気づきは、TwitterInstagramでアップしています。

よかったら見てください。

 

 

最後の最後に、大好きな鎌倉の海!


One and Half

先週、息子が1歳半を迎えた。
ちょうどその前の日が私の誕生日でもあり当日が結婚記念日だという、いろいろな記念日が盛りだくさんに集まっている日でもある。
生後半年のいわゆる"ハーフバースデー"のような「すごい!すごいわ!やったよー!!!」という力みの入った祝いようではなく随分と落ち着いてきたものの、やはり感慨深く振り返る一日となった。

1歳まではものすごい怒涛の日々がざーっと嵐のように過ぎていった感があるが、今1歳から1歳半までを振り返ると正直少しゆったりとした時間の流れに感じる。
たまたまなのか、はたまたそういうものなのか。これはどうしたことだろう。

そんなことを考えつつ、そういえば自分の子供の頃も時間ってゆっくりゆったり流れていたなぁという感覚を思い出した。

ありがたい事に子供を授かることとなり、こうして子供と過ごすことが日常となった今。
子供を見守り健やかに育てるということがもちろん最大の義務ではあるのだけれど、同時に子供と過ごすことで幼いころからの自分の人生を振り返り、同じ目線で、同じ時を、同じ時間軸をたどる貴重な機会をもらっているのだ。

自分の事となると、仕事もしていたりするので相変わらず、いや以前以上に慌ただしく「あっという間に」時間がすぎる感覚。
だが、子供軸での感覚はおむつ替えたりご飯食べさせたりせがまれるまま本を読んだり忙しく過ごしているのだけど、思い起こすと「ゆったり」な時間。
このふたつの相反する感覚が同居しているのが今の私。

そんな今まで、息子の成長を振り返ってみると...。
1歳前からてとてと歩き始め、今ではちょっと目を離すととっとことっとこ駆け出して焦ることしかり。
最近は随分と理解できることも増え、そしてちょっぴり自己主張も出てきて、会話や絵本から言葉も少しずつ会得し始めている。
ちょうどハーフバースデーの日、10倍粥ひとさじから始めた離乳食もすでに3食ほぼ普通のご飯。
スプーン&フォークも自分で使って、時にぽろぽろこぼしながらもなんか普通に食べてくれるようになった訳で...。
ーまだまだ拙いものの、特別扱いではなく随分と普通のテンションで接している状態になってきた。

まだ首もふにゃふにゃで表情もなく何を考えてるかわからない人にやたら一方的に話しかける日々、自分がどうかなっちゃったみたいで今思うと結構辛かったぞ。→おしゃべりおばさん

ある日二人で外でお弁当を食べながら、ふと目が合って、ニコッと笑いかけるとニコッと返ってきて、そしてまたご飯を食べる。
そんな普通のことのうれしさがじわじわ広がってくる昼下がり。ああ、ちょっと楽になった。
や、また大変なことはそれはそれで増殖しているのだけれど。

1歳半から2歳まではまたどんな流れになるだろう。
2歳になってみたらやっぱり総括として「あっという間」だったりするのか、やっぱり「ゆったり」感じるのか。
とりあえずこれからまた子供の人生と自分の人生、ふたつを絡ませながら、息子の成長をじわじわ楽しもう。
一歳半おめでとう。






 

おしゃべりおばさん

最近公共の場でのひとりごとが当たり前になってしまった。
昔だったらそういう人を見かけるとやばいおばさんと思っていたけど、まさか自分がそうなろうとは。

スーパーで「あ、あれ買わなきゃ!」とか「これ忘れてた」みたいな備忘録的な。
「あー、あれはこうだったよねー」と「これはそうなんだー、へー」などのような、一見息子に語りかけてる風のつぶやき。
声に出した途端、自分で「あ、やば」と1ミリくらい思ったりもするのだが、心の恥じらいより開き直りの肝が座ってしまい、もう修正不可能...。
時には本当に無自覚に心に思ったことが口から飛び出てしまい、

息子がいる生活が当たり前になった今、いなかった頃の自分がどんなだっただろうとふと考えたりする。

私はひとり黙々と作業するのが好きで、一日中無音の部屋で篭っていても苦ではない(ただしインターネットがあれば)。
仕事に没頭してると、(あ、今日一日も声だしてない...)「あーあー(発生確認)」って事もざらにあった。

だがある日、お腹に赤ちゃんがいることがわかって、実質ひとりきりという事がなくなった。
そいでもって段々事の次第が進んでいくと、母親学級みたいなものやその他いろんな機会があることに「お腹の赤ちゃんに話しかけましょう」などと言われるようになる。
...そういうの、私は性質的にイマイチ入り込めないタチ。お腹に向かって「ママですよ〜」みたいなの、なんとなく気恥ずかしさの方が先にでてしまい、結局それ程できていなかったように思う。他の人と比べた事ないからわからないけれど。

そうこうしているうちに出てきた子。
最初のうちは泣いたり寝たりしてるばかり、何を考えているか何をしてほしいのかわからない。そんな子と二人っきりになってしまう恐怖といったら。
恐怖のあまり、二人きりの気まずさを紛らわすかのように、でも結局一方的なひとりごとになってしまう寂しさを紛らわすかのように、一日何かしら話しかけるという行為が始まった。
始めてしまうとと気恥ずかしさはなくなり、時に一人芝居の役者のような気にもなりながら、あーだこーだと帰らぬリアクション気にせず話していた。
まぁそういうのを続けていると、言葉のわからぬ赤ちゃんも、だんだん会話のリズムなりなんなり認識するようになるらしい。

さすがに今は随分コミュニケーションが取れるようになってきて、こっちの話していることも随分わかってくれるようになった。
そして向こうの話すことも、ほとんどがまだ片言の不完全な言葉ではあるけど、随分理解できるようになった。
ふわふわおぼつかないけど成立している、危なっかしい会話のキャッチボール。
それでも結局こちらが会話をリードすることになるので、なんとなくひとりごとおばさんなのだ。
更に息子の起きている間はこちらも常にハイテンション、にならざるを得ない。

よく既にもう成長した子どもを持つ方に、懐かしい目をしながら
「今が一番いい時よね〜」
などと言われるが、今その時にいる私からしたら明日目覚め時には大人と同じようにペラペラ話してほしい。

これから2歳に向かって、きっともっと息子がお話できるようになったら、そんなこと思っていた事も忘れてしまうだろう。
あーあの頃はよかったとしみじみする日も来るかもしれない。
でももっとお話できるようになったとしても、私のひとりごとグセはもう治らないのではという予感。
成長したらしたで家族に小言を言いながら、相手にしてもらえなかったらブツブツひとりごとを言いながら、おしゃべりおばさん街道を進んでいくー。

(2016/2/29 - 1year 5months 1day)



 

私と息子、一歩前へ。

予定より早く、息子1歳2ヶ月の終わりの時期に断乳をした。
当初はこの冬まではなんとか授乳を続け、ちょうど1歳半が3月末なのでその頃をめどに断乳のプランを立てようかと思っていたのだか。
てなことを母親センパイの友人に伝えた所、絵日記にしていてくれていた。

正確に私の気持ちを書くと、息子にとって何が最善な選択か考え抜いて決めた答えだったので、たとえ世間から非難されたとしても後ろめたさは全くなく。堂々と私はこうだと言える。

たまたまだが母乳推進の産院で産み、長く母乳をあげることが良しとされる話を聞きながら育児プランを手探りで作っていたので、当然自分の出来る限り長くあげることで免疫で体を守ったり心が不安定な時に癒やしたりしてあげたいと思っていた。

だが実際の息子は、寝るとき以外欲しがらない子。人懐こくて情緒も安定している方で、食も太く、体も比較的タフな方なのだ。今のところまで。
5ヶ月前には歯が生え始め、1歳前から歩き始め、日々好奇心旺盛になる息子。吸いながらの睡眠により眠りが浅くなっているせいで何度も起きるのは辛いのではなかろうか。睡眠不足でいつもだるがってるお母さんと一緒では昼間の活動が充分にできないのではないだろうか。

私自身が日々充分に休めず辛かったのは当然なのだけど、息子がどうかを考えて考えて(時に夫婦の意見対立もして)いろんな葛藤があったのだが、ある時すーっと「この子は母乳なしでも大丈夫な子だ」と確信が持てた日がきた。
免疫の点は多々論があるのでさておき、栄養は食欲旺盛な息子には心配ないこと。そして母乳でなくとも愛情や癒やしを与えることができるという母親としての自信が、自分の中にできていた。
うむ、私のような肝の座ってない女がそんな偉そうに。でも何かそれだけは確かに感じたのだ。

その夜からいわゆる言い聞かせというのを開始。ゴールは23日程後。
まだ言葉のしゃべれぬ子に意味などわかるのかという疑念は多少持ちつつではあったのだが...。なんとなく、わかりはじめてきたかなとは思うけれど、「もうすぐおっぱいとバイバイだよ」ってなんか複雑な話じゃないかな。もうすぐバイバイだけど、今日は飲めるし。

そしてその1週間後くらいに昼だけ断乳開始。
もともと乳なしでは昼夜寝られない状態のところからいきなりすべて断つということに不安を感じていた頃、旦那サンが昼ふと「今日はお父さんが寝かし付けするぞぉー♪」と宣言し、そこから昼断乳スタート...。
まぁ彼は私が迷っていたのを察して後押ししてくれたのだが、その勢いに任せた結果、昼は頭なでなで&子守唄でスヤスヤ寝てくれるようになったのだ。

おお、なんだ!こんなスムーズならもっと早くやっておけばよかった。
それとも夜の言い聞かせの効果?息子なりに何か悟ってきているのかもしれない。

真相はわからぬまま、あれよあれよとその日の前夜。生まれてからずっと私とパイと共に眠ってきた息子に、とうとう「今日でおっぱいとバイバイだよ」「これが最後だよ」を伝える。
「フガフガー(そんなの知るかー、眠いんじゃー、はよよこせー)」とやる息子に、最後に伝えた言葉は「忘れないでね」。
....忘れてもらわないと断乳成功しないのだが。

こんなに二人でぴったりと寄り添い、毎日欠かすことなく命を支えるもととなる養分を与えていた日々。
この489日の間のことは、私にとっては(細かいディティールは忘却したとしても)忘れえぬことだが、息子にとってはこれからもっとたくさんの事をぐんぐん吸収していく前のほんの助走の時期であって、私がそうだったように皆忘れてしまうのだ。
思わず「忘れないで」と口に出た。

そして、ヤァヤァヤァいよいよやって来た、今日からパイなしで寝ますよという日。私は寝室から襖一枚隔てた別室に居た。
旦那サンが協力してくれて、その数日は寝かし付け担当となってくれたのだ。私は泣こうが喚こうが空気の存在。
さぁ波乱の幕開け、何が起こるのか...と思いきや。
最初の寝かし付けはそのまま騒ぎもせずに寝てしまい、その2時間程後に40-50分わんわん騒いだのをピークにその後は子守唄+頭なでなででスヤスヤ眠るようになってしまった...よ。
なんだったんだ、今まで悩んだ時間は。というくらいに、おかげ様でスムーズに断乳という大業が片付いてしまった。

もしかしたら日中夜のさみしさを思い出して荒れるかもしれないとも危惧していたが、まったく穏やかにいつもどおり。
むしろ私が息子との接点が極端に減ったことで少し荒れたかもしれないが、断乳後3日程して私の寝かし付け&お風呂も徐々に復活し、これまた何も問題なく。
朝まで寝るか、寝相などの問題で1〜2度起きるけどすぐまた寝入る。これで子も母も、夜中ゆっくりと休む事ができるようになった。
授乳のことを抜きに子育てを、仕事を、生活を、考えることができるようになった。
出産から今までとまたひと段階進んだ、違う章が始まった、気がする。

先に書いた"「この子は母乳なしでも大丈夫な子だ」と確信が持てた日"に浮かんだ映像は。
キラキラと光る一本道があり、その先に扉が一枚。
そこに向かって息子がてとてと歩き、扉の先に進もうとしている姿。
その姿を見て「ああ、息子は一人立ちの第一歩を歩み始めたんだ」と思うわたしは涙。離れてしまう淋しさとここまで成長したんだという嬉しさとの、両方を合わせたー。



挿絵は金柑の実。
私の住む家の庭には金柑の木があり、毎年たくさんの実を付けてくれる。
この家を見つけた時にも鈴なりの金柑の実がなっていて、中はまだ見られなかったものの「ここだ!」という直感を得た。
ちょうどこの家に越して2年。この家に越してから赤ちゃんも訪れてくれることとなり、新しい生活が始まったのだ。
金柑の実は繁栄の象徴ー、不思議なご縁。
 

My Journal♡

ちょうど先日、出産当日から毎日つけていた日記帳を一冊書き終えた。

ほぼ60時間の出産でふらふらになりつつ迎えた息子との初めての夜から、ハイハイの練習を始めている今日まで207の日々。これだけ長く日記を付けたのは生まれてはじめてではないか。

2〜3回脱皮してるんじゃないの?息子のめざましい成長と、私の母としてのつたない成長が刻まれた大事な宝物。

日記を見返してそういやこんなことあったといちいち驚く。笑う。そして時々、涙。

日々続けた息子のスケッチと、したためた日々の想い。
時間もなく余裕もなく時に殴り描きのような日も多々あり、もっときれいに書けなかったのかと思うページばかり。
それでもそのページを見るとその日の自分がさぁーっと蘇る。

そもそも日記は、せっかくまたとない経験をするのだから記録を付けておこうという意識からのスタート。
そのうちなんとか自分の手で息子がその日生きた証を残そうという心意気が少しづつ育ち、睡眠もなかなかとれず慣れない生活をしていた時もなんとか続いてきた。

産後、今まで暮らしていた世界から子育ての国にぽつんとひとり置き去りにされてしまったように感じた夜。そんな時には、日記は私の想いを聞いてくれる良き友達でもあった。

そこに息子のスケッチが加わったのはセツ・モードセミナーの時の恩師、星先生のアドバイスから。
「デッサンを」とあったのだが、実際泣いたり動いたりする小さな子が目の前にいると何かとお世話で終始してしまいがち。実質は夜寝かしつけてからその日の写真を元に描き起こしてというスタイルになった。
これは実質自分への勉強になっているのかな、確かにこんなサイズの子を真剣にこんな枚数描いてこなかった。
先に書いたように時間のなさや眠さでひどい仕上がりの日もあるけど、私だけにしか描けない味わいは出てる...だろう。きっと。
あまりにも私的すぎて、公開するのもどうしようかと考えているうちに今のところ自分だけの楽しみになってしまっている。

とりあえずは、これからもできるだけ自分のために続けよう。



そう、生まれ持ってきたおっぱいの出るからだとか母性という名の感性がつまったこころは確かに存在していた、私にも。
けれど、私がこの子のお母さんだという揺るぎない自信は一日一日のふれあいでちょっとずつ積み重なってやっとできるものだ。自分で体験して初めてわかったこと。

最初のうちは、私より助産師さんの方があやすの上手、私より旦那サンの方がだっこ上手なんじゃ、なんて弱気になる日も。
息子があまりにも旦那サン似なので、確かに私から生まれてきたのに私のDNAの存在はないのかもしれないと(今思えば)実に馬鹿げたことを考えたりもした。
本当にそんな小さなこと、今考えるとかわいいもの。
たった半年ちょっと前の日記の中の自分に、もうすっかり先輩ヅラする今の自分の余裕はなんなんだ。
今目の前にいるのは、誰よりもいい笑顔を向けてくれる息子。私の存在がすべてという、うれしさと任務の重さ。
一枚一枚の日記が積み重なって厚い本になったくらい、私にもお母さんらしい自信ができてきた、のかな。
 


少しだけお休み中

私事ですが、9月末に無事男の子を出産しました。
年内は産休をいただいております。

日々少しづつ母親業を習得する修行中です。
自分が産まれてからの得てきた様々な事柄を一から復習していると言っても。
ああ、こんなことをしてされて育ってきたんだ。
ひとつひとつ、命の引き継ぎ作業。
大変ですが、がんばります。




 

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